905、あなたにとって退屈と感じることに情熱を注ぐ方法はあるのか?
こんにちは、くらもとたいしです。
学校の勉強は好きでしたか?答えの半数は面白くないと答えているでしょう。しかし一定数は面白かったとこたえます。
同じ時間に、同じ内容を、同じ人から学んでいるにも関わらずです。彼らの違いはどこで生まれたのでしょうか?それはもしかすると集中力に関係しているかもしれません。
それではみていきましょう!!
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【あなたにとって退屈と感じることに情熱を注ぐ方法はあるのか?】
私は典型的なかろうじて学校のコースをパスした若い数学者でした。私にとって高校を卒業することは二度と数学や科学の教科書を手に取らないでよいといった、とてもスリリングな出来事でした。
私は数学が意味をなさないと思っていただけではなく、何の役にも立たないフラストレーションのたまるものとして思っていました。
そんな若いころの自分が今の私を見ればショックを受けるでしょう。なぜならば現在私はエンジニアの教授として、数学を使い世界をより快適な方向に進めようとしているのだからです。
なぜ私が退屈で嫌いだった数学を今自分の仕事にできるほどに熱中するようになったのでしょうか?何に私は価値を見出し動き始めたのでしょうか?
<モチベーションのタネを見つける>
まず対象に情熱を注ぎたいのであれば、なぜそれを学ぶのかを理解しなければいけません。一番の目的は自分の生活を向上させたいと思う気持ちなのです。自分の今の暮らしと未来の暮らしの対比を想像することで、人はモチベーションを高めていきます。
<脳のストレウになるものを取り除く>
とはいえ自分が苦痛に感じていることに没頭することは脳に痛みを伴うでしょう。実際私も数学に取り掛かると頭が痛くなる経験をしたことがあります。しかしその壁は乗り越えなかればいけない壁なのです。それではどのように乗り越えていけばいいのでしょうか?
1:集中を妨げるものをどける(スマートフォンやPC、タブレットの電源を切る等)
2:25分刻みにタイマーをセットする
3:その25分に集中する
4:それをやり終えたら5分間自分にご褒美をあげる(コーヒーを飲んだり音楽を聴いたり、友人とおしゃべりしたり等)
<集中できる時とできない時があるのを理解する>
多くの人は意識をしていませんが、人の脳は2つの世界を区別しながら生きています。それは集中しているときの世界と、集中していない時の世界です。
人はこのモードを使い分けながら生きています。というより使い分けなければ生きてはいけません。したがって人には集中できるときとできない時があるのは仕方のないことなのです。それを簡単に成果が出ると思ってやっていると思った成果が出なくて自分に失望することもないでしょう。
<何度もなんども繰り返し楽しみを見つける>
一回で何もかも完璧にできる人はいません。人は何回も繰り返すことによって習得していくのです。数学を例に出してみます。そこには一つの問題があり、自分はその問題を懸命に考えましたが答えることができません。
そこで解答を見てしまうのではなく、翌日も同じ問題に取り掛かりましょう。翌日も、その翌日もです。人生には簡単に解答が見られるケースは多くありません。解答を見てその問題をとけるようになったと錯覚するより、何度も何度も集中をしてその問題に取り組んだ方がより大きな成果を得ることができるでしょう。
ありがとうございました。
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