215、データサイエンティストとデザイナーの化学反応

 

こんにちは。くらもとたいしです。

 

「サイエンスとアート、どちらに優位性があるのか?」というテーマで議論が行われている記事を目にしたことはありませんか?このようにサイエンスとアートは対極に置かれることが多いテーマです。でも本当にそうでしょうか?答えはノーだと考えます。

例えばルネッサンス期に活躍したレオナルド・ダ・ビンチは芸術家でもありそして科学者でもありました。彼は正確なデータをもとに人間などをモチーフにした作品を数多く制作してきました。この時代、サイエンスとアートは同じジャンルとして考えられていたのかもしれません。

そして現代でもそうです、例えばゲームのアプリケーションなどを考えてもデータとグラフィックは共存しています。つまりどちらかがかけていては、市場に優位性を持たせることができないのです。このようにサイエンティストとアーティストは切っても切り離すことのできない関係性なのではないでしょうか?

それでは見ていきましょう!!

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【データサイエンティストとデザイナーの化学反応】

 

ある科学者がカリフォルニアにあるデザイン会社を訪れました。その科学者は大学やプロのアスリート向けに、睡眠と運動パフォーマンスの関係性をデータ化し、彼らにサービスを提供しようとしていました。

しかしデータとしては申し分のない出来だったのですが、そのデータが何を表していて、どのようなインサイトがあるのかを相手に全く理解されなかったのです。つまりそこに示されたチャートやグラフが、アスリートにとっては難解なものだったのです。

 

そこで彼はデザイン会社を訪れたのです。彼にとっての問題は、デザインのセンスが欠けていることでした。つまりユーザーエクスペリエンスを意識することができていなかったのです。グラフやチャートでデータを検証することは大切ですが、そのチャートやグラフそれ自体を相手に理解してもらうのではなく、どんなインサイトがあり、どのように改善できるのかを伝えることができなければいけなかったのです。

 

デザイン会社と協力できたことによって、彼のサービスは飛躍的に使いやすくなりました。同じデータからでも切り口と見せ方を変えるだけで大幅にサービスを改善することができたのです。ようは誰にそのサービスを提供するのかを考えなければいけなかったのです。

 

このような例を見ていただいてもわかる通り、私たちの生活はデータとデザイン、両方に囲まれて暮らしています。例えばデータが先行してデザインをないがしろにしているケースを考えてみましょう。対象が科学者であればそれでもいいかもしれません。むしろデータそのままを好む傾向にあるかもしれません。しかし一般の消費者ではどうでしょうか?おそらくただ並べられてデータのままでは、見向きもされないのではないでしょうか?

反対のケースも見ていきましょう。デザインばかりにフォーカスしているもので、データはあまり考えられていないものとします。もちろん日用品や雑貨などはそれで良いでしょう。むしろデータはあまり役に立たないかもしれません。しかし例えば上記のアプリケーションで考えてみると、データがないがしろにされているのであれば、いかにアプリのデザインが素晴らしくても、その効果を発揮することはありません。

 

つまりデータ自体は使われなければ意味がありません。したがってユーザエクスペリエンスを向上させるためにもデザイン力が必要です。それによって相手にインサイトを与えたり、次の指針を導きやすくしてくれるかもしれないからです。

ありがとうございました。

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