552、他人の意思決定は簡単にできるのに、自分のこととなると途端に難しくなるパラドクス

 

こんにちは、くらもとたいしです。

 

「なんでそんなことで悩んでるの?」と人のことを不思議に思ったことはありませんか?それ、他の人もあなたに対して同じことを思っています。なぜ人は相手の問題を簡単に感じ、自分の問題は難しく感じるのでしょうか?

それでは見ていきましょう!!

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【他人の意思決定は簡単にできるのに、自分のこととなると途端に難しくなるパラドクス】

 

ビジネスでの決断から、お昼ご飯何を食べるかまで、私たちの生活は決断の連続です。そして他人に対する意思決定や、相手が悩んでいることを聞くと簡単にソリューションを提案できるのに、自分のこととなるとの途端に問題を難しくしてしまいがちです。

レストランで何を注文するかでさえ、自分が食べるものとなると悩んでしまいます。なぜこのような現象が起きるのでしょうか?それを解明すべく、情報の質と量は同じでも、相手のことと自分のこととでは意思決定に差は生じるのかを研究しました。

ここでは1000人を越す被験者に集まってもらい、レストランのメニュー選びからビジネスの大きな意思決定まで、様々なケースの意思決定の状況を用意しました。その質問の中で他人(ここではAさんとする)に対する意思決定と自分に対する意思決定、どちらも行ってもらいました。

その結果にどこまでの差生じるのかを調べたのです。結論Aさんに対する意思決定は、チャレンジでアグレッシブな選択を行う傾向にありました。また与えられた情報から客観的に選択することがわかったのです。あくまで客観的に行われたのがポイントになりました。

一方で自分に対する意思決定はコンサバティブであまりチャレンジをしない選択の傾向になりました。自分を客観視することに努めますが、中に主観が交じることが多く確認されたのです。また問題を複雑化されることも確認されました。本来単純な選択のはずが、様々な候補を選択肢に入れることで問題が難化することにもなったのです。

 

これは人の習性上仕方がないことであると言われています。自分は自分のことを最も知らないと言われている通り、中々客観的に自分を見ることができないのです。それではこれを解決する方法はないのでしょうか?その答えは回答をアウトソーシングすることです。

これは比喩でもあり事実でもあります。例えばビジネスであればメンターをつけて客観的な判断を仰ぐとよいでしょう。プライベートでは友人や配偶者でも良いかもしれません。比喩の意味では、これの延長線上になります。りつま自分のことを他人として、自分のことを判断するのです。

 

つまり自分自身をメンターにして判断するのです。これは時間がかかります。なぜなら自分を客観的に見る習慣を身に着けなければいけないからです。したがってまずはメンターを通して自分を理解していくのが良いでしょう。客観性を理解しながら、徐々に自分自身をメンタリングしていければ、より良い意思決定ができるかもしれません。

ありがとうございました。

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