610、ディスカッションを生産的にするために必要な3つの考え方

 

こんにちは、くらもとたいしです。

 

以前ある番組でホリエモンこと堀江貴文さんと医師の西川史子さんが言い争っていたのに、収録語では和気藹々と話している姿を見て、世間ではヤラセという声が続出しました。

このように日本では違う意見を持っている人がディスカッションをしているのを仲が悪いと勘違いしてしまうのです。同じ意見を持っていなければ良くないと言っていることと同じです。

この考え方に堀江さんも警鐘を鳴らしていましたが、この考え方今すぐアップデートしなければ、何か新しいものを生み出すことがものすごく窮屈になっていることに気が付けないかもしれません。

それでは見ていきましょう!!

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【ディスカッションを生産的にするために必要な3つの考え方】

 

この数年間で社員300名から1400名へと成長を遂げた企業にコンサルティングを担当していた時のことです。急速に会社が成長していく中で経営陣たちの課題をヒアリングしていたところ、「急激に人数が増えたことによるITインフラの問題」や「社員の質の担保」「接続会社との関係性」などが問題に上がると考えていました。

しかし彼らは予想に反して「人数が急増したことによって今まで統制が取れていたことが、カオスになる危険性がある」と考えていたことでした。

 

この問題は確かに会社が大きくなれば発生してくる問題ではありますが、実はこれは問題とは呼べないのです。つまり人が増えることによって、反発を含む様々な意見はむしろ会社にとっては良いことと考えられているのです。

確かにかなり変化はしてきましたが、企業は変化を恐れます。そこに失敗の可能性があるからです。今までの産業社会では変化を大きく起こさないほうがよかったかもしれません。しかし今は情報社会となりました。つまり外部の変化が激しい中で、自分たちが変化を起こさなければ、過去の産物とかしてしまうような時代になったからです。

 

そのために今はなるべく多様な意見の中から、物事をクリエイトしていくことが本流となり始めています。変化することを恐ることから変化しないことを恐るようになっていくのです。その中で企業内でのディスカッションは非常に重要な意味を持ちます。お互いの主張を理解しあい、新しいものを作っていくことに価値ができているのです。

しかし気をつけなければいけないことはただディスカッションをすれば良いというわけではありません。ディスカッションというといかにマウントをとって、相手の意見を打ち負かすと行った印象を持っている人もいるかと思いますが、それは全然違います。むしろ社内の中では相手を打ち負かすことが目的ではなく、ワンチームとしてより良いものを作っていくことが大切なのです。そのために気をつけなければいけないポイントを見ていきましょう。

 

<みんな同じチームであることを忘れない>
先ほども言いましたが、言い負かすことがディスカッションの目的ではありません。たとえ部署が違っても目指すゴールは同じ方向を向いていなければいけません。目的を達成するためには何が必要であるかをしっかりと共有した上で、たとえ意見が違う人であっても話し合っていかなくてはいけないのです。

そのためには皆が平等でなければいけません。ある個人が自分の専門分野でマウントをとって、他の意見を聞き入れないと行った行為はディスカッションをする上でもっとも評価されない行為となります。

 

<事実とロジックを元に話し合う>
確かに違う意見を持っていれば感情的になってしまう可能性もあります。感情は主観が入ってくるために、なかなか理解し合うように持っていくのは難しいでしょう。そのために必要なものはファクトベースで話し合う。かつロジック立てて考えることです。よく感情的になってしまう部分は、話が本流ではなく脱線してしまった時に起こりえます。

ファシリテーターはここをベースにディスカッションを進めていかなくてはいけません。その時やはり気をつけなければいけないことは相手を騙さないことです。騙すというよりかは誤魔化すと言った表現が適切かもしれません。データを使用した時に自分たちに都合の良いようにデータを操作することも社内ではあまり有益ではありません。

 

<相手をリスペクトする>
言い古された言葉かもしれません。今あなたが仕事をしているのはロボットではありません、人間です。ロボットであれば相手への敬意を払う必要はなくなるかもしれませんが、相手が人間であると敬意を払うのが普通です。よく自分の意見が違うと最後まで話を聞かずに相手の意見を遮ったりする人がいますが、これはマナー違反です。

また意見が違うだけで相手の人格を否定する人もいますが、これも当然誤りです。話し合わなければいいけないのはその人の人格ではなく、意見の相違がどこから来ているのかを理解し合うことです。そのためにもお互いが一人の人間として、平等に敬意を払う必要があるのです。

ありがとうございました。

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