691、自分が本当に望んだ自分にはたしてなれていうのだろうか?を時々たちどまってかんがえてみる

 

こんにちは、くらもとたいしです。

 

今あなたはそこにいます。しかし2年前のあの時、その決断をしていなければそこにいなかったかもしれません。これはわたしの決断の話ですが、あの時仕事を辞めて海外に飛び出していなければ、今の自分は存在しえませんでした。

あなたは本当に自分が望んだ自分になれているでしょうか?自分と向き合う時間がその考えることを可能にしてくれます。自分と向き合ってみましょう。

それでは見ていきましょう!!

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【自分が本当に望んだ自分にはたしてなれていうのだろうか?を時々たちどまってかんがえてみる】

 

ティナは分岐点に立っています。娘は最近大学へ行くため旅立ち、夫は自分の好きなことに没頭しています。

彼女もかつて銀行で楽しく働いていましたが、今では退屈に感じてしまっています。時々やめるかどうか考えるのですが、同僚や上司はどのように思うのでしょうか?

 

彼女の意識は深く掘り下げていくほど深刻になってきます。彼女は誰かの望み通りの選択を行ってきたのでしょうか?幼少期であれば彼女は父親や祖父から多大な期待を背負わされてきたのでしょう。

45歳になった今、彼女の今まで行ってきた選択は正しい選択だったのでしょうか?

 

彼女は悩みます。自分のしてきたことは正しかったのでしょうか?もしかすると自分でもまだ見つけれていない才能が眠っているのではないでしょうか?

彼女は、相手は何を期待しているか?何をしてほしいかを優先回路として選択してきました。しかし彼女は本当に自分がやりたいことを選択しなければいけないのかもしれません。

 

この思考は心理学の中でも古くから、嘘か真か、それともシャドーかと考えられてきました。例えば自己認知のカテゴリーに当てはまりますが、自分は闇を抱えています。しかし世間にはそれが知られないように反対の性質を持っているとアピールします。

しかし本当の自分はどっちなのでしょうか。などの自分の性質が分からなくなって、どちらが正しい状況なのかという問いがだれにも存在します。

 

幼少期のころ多くは周囲の期待に応えようとする姿勢を見せます。つまり本来の自分ではないことを演じます。そしてその嘘の自分を本当の自分として塗り替えようとしてしまうのです。

しかしやはりそれは本来の自分にはなりえません。つまり嘘の自分と本当の自分の意識が混在しているのです。そしてある時本当の自分が顔を出します。「今までの選択はあっていたのであろうか?自分が本当に決めていたのであろうか?」です。

 

本当の自分が出てくるのは人によって様々です。ティナのように比較的早い段階から気づく人もいれば死ぬ間際、いや死んでからも気づかないケースもあります。

本当の自分というものは本来の自分、そして本来自分がしたかったことなのでモチベーションを抑えることができなくなります。自分の人生を自分でハンドルできるようになったとき、どうすればよいのでしょうか?

それは誰かと共有することです。ティナの場合は夫と共有することで彼女が進んでいきたい道をともに考えることができた点で、彼女の本来の姿を表現することができるようになりました。

 

多くの人は忙しさのあまり、自分の内側の声に耳を傾けることができていません。しかし本当の自分を見つけ、実行するのか、それとも嘘の自分をそのまま本当の自分として生きるのか?どちらが良いのでしょうか?

ありがとうございました。

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